フェルナンド7世 (スペイン王)
スペイン王カルロス4世と妃マリーア・ルイーサ・デ・パルマの長男としてマドリード近くのエル・エスコリアルの広大な宮殿で生まれた。
フェルナンドが生きた時代、フランスではフランス革命が勃発、それによるフランス革命戦争、続くナポレオン戦争は全ヨーロッパを巨大な動乱へ巻き込むこととなった。戦乱は体制の腐敗と老朽化が進んでいたスペインに大きな悲劇をもたらし、久しく国際舞台から外れていたスペインをヨーロッパで最大の関心事とすることになる。
少年から青年時代にかけては、王位継承者とはいえ両親と両親のお気に入りマヌエル・デ・ゴドイ(母の愛人)から除け者にされているという辛い立場に追いやられ、彼らに恨みを抱きつつ、自重していた。この間にも弱体化した政府に対する全国の不満は高まり、1805年には大規模な暴動が起きている。政情不安が続く1807年10月、フェルナンドはエスコリアル陰謀事件の共犯として逮捕された。この陰謀は政府内のリベラルな改革派がフランス皇帝ナポレオンの助けを得てカルロス4世らを追放し、フェルナンドを新王に就けようとしたものである。改革派の希望の星という立場であったにもかかわらず、フェルナンドは陰謀が発覚すると彼らをさっさと裏切り、両親の指示に従った。
父カルロス4世が1808年3月にアランフエスの民衆の暴動で退位を余儀なくされると、フェルナンドがスペイン王フェルナンド7世として即位した。フェルナンドはフランスの自身への助力を期待していたが、ナポレオンの考えは自身によるスペイン支配へと変わっており、結局フェルナンドも退位を強要されることになる。その後スペイン本土はナポレオン支配に反発する民衆の組織したゲリラと、それを支援するイギリス軍と、フランス軍との間で7年近くもの間スペイン独立戦争の舞台となるが、フェルナンドは無為無策のままフランスのヴァランセ宮殿に囚われていた。
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